何がささいな事なのか?映画『リトル・シングス』ネタバレ解説/The Little Things (2021)
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どーも、沈黙を通り越して寡黙な丸山です。 今回は『リトル・シングス』ですよ。謎のブーツの正体は分かりましたでしょうか?しっかり解説していきます。
引用:https://www.imdb.com/title/tt10016180/mediaviewer/rm4039561985/ |
淡々とした展開のためか、1回観ただけで理解するのはかなり困難。「意味が分からない」という声もあるほどです。後半で詳しく解説していますので、順番に見ていきましょう。
この映画は何ですか?
「沈黙」です。
あらすじは?
殺人事件の捜査を、元刑事の保安官と、その彼の後任の刑事が担当します。
保安官が犯人の目星を付けますが、知的で狡猾な男であり、刑事達は翻弄されます。
刑事達は、事件を解決できるのでしょうか?
みどころは?
3人ともメジャー作品で主演の多い俳優さんなわけですが、本作は三人とも主演のような感じで進んで行きます。これだけでもかなり力の入った作品である事が分かりますね。
ラミが2番目にクレジットされているのは恐らく『ボヘミアンラプソディー』のヒット後だからでしょうか。
鑑賞のヒント
たびたび過去の回想シーンがランダムに入って来るため、少し分かりにくさがあります。
主人公が制服の時は保安官(現在)で、
スーツの時は刑事(過去)となっているので、
服装を目印にすると分かりやすくなりますよ。
全体的な印象
本作は何かを受賞できたのでしょうか?軽く調べてみたところ、受賞したのはゴールデントレイラー賞の中の「ベストドラマポスター賞」でした。
ポスターしか受賞しなかったとは…。
淡々としていながら実はかなり情報量が多い映画ですので、面白さを感じられない人が多いのかもしれません。
僕自身、何度も繰り返し観る事でやっと理解が追い付いた映画です。作り込みが複雑すぎて評価が高くなりにくいのかもしれません。
3人の関係
容疑者、刑事、保安官。3人の主要人物はそれぞれ対比関係にあります。容疑者と刑事に保安官の過去が投影されることで、保安官の複雑な心情が明らかになっていきます。
繰り返される失敗
保安官は過去の捜査で失敗し、刑事を退職しました。
後任の刑事は容疑者を殺してしまいます。
自分の後任により失敗が繰り返される事で、
保安官は再び過去を振り返ります。
そして、容疑者殺しの秘密を抱えたまま沈黙を貫き通す結末となるのでした。
タイトルの『リトル・シングス』とは一体何を指しているのでしょうか?
どこで観れますか?
Netflixでの配信は年明け早々に終わってしまうようですね。
お早めにどうぞ!
https://www.netflix.com/title/81267316
ラストの意味解説
急な展開が続くラストシーンは特に意味が分かりにくいかもしれません。しかし、散りばめられた情報を繋げていくと、主人公ディークの心情が見えてきます。
具体的に見ていきましょう。
事故の隠ぺい
ディークは、自分の過去をジムに重ねています。それはなぜでしょうか?
実は、ディークは捜査中に誤って女性を銃で殺してしまいました。しかし、署長と鑑識が彼をかばい、死因を偽装することで事故を「なかったこと」にしてしまいます。
刑事による殺人を、警察が隠ぺいしたのです。
署長がディークに対して妙な態度を取るのは、このような過去の暗い出来事が原因です。
最終的に、後任のジムまでもが殺人を犯してしまう事になりました。
それに対しディークは再び、殺人を闇に葬ります。ジムの殺人をなかったことにしたのです。
彼に殺人の罪を負わせたくなかったのかもしれませんが、彼の職責を思えば辛い選択なのでは…と思いきや、あっさりサクッと偽装のための行動を開始します。そのような「誤った行動」を闇に葬る事ぐらいは「ささいな事」だとでも言うのでしょうか。
ジムをかばうための行動だと言えば美しさもありますが、やはり自分の過去を彼に重ねているからなのでしょう。もう何が正義なのか分からなくなります。
このようにして、ディークが言っていた通りに「過去と未来」が繋がってしまったのです。
天使はいない、とは?
ジムに渡されたディークからの封筒にはメモが入っていました。
No Angels=天使はいない
これはどういう意味でしょうか?
このメッセージは抽象的で、何を指しているか分かりにくいですね。明確な文脈がなく、受け取ったジムは無言で何も反応を示しません。これでは、正確に意味を捉えるのは困難です。
天使の意味について考えるため、ディークがホテルにチェックインするシーンに遡りましょう。
部屋に入ったディークは壁の絵を見ます。そこには祈る人に寄り添う天使が描かれていました。
続くジムの家庭のシーンでは、ジムが子供に対して「お祈りはしたか?」と聞きます。
これらの連続したシーンは2つとも「人が祈る時、天使が見守っている」という信仰を象徴しています。
信仰の象徴はほかにもあります。
ディークが車を運転しながら、丘の上の十字架を気にするシーンが二回あります。信仰心がなさそうにふるまうディークですが、それは信仰心が強いことの裏返しであることを十字架が示しています。
ディークには、自分が人を殺した事、しかもそれを隠ぺいした罪を犯しながら、更にジムの殺人まで隠ぺいした負い目があります。
信仰心が強い彼にとってそれらの罪は自分を許すことができないはずです。その苦しみから逃れるために、自分の信心深さから目をそらしたい。しかし、つい十字架に目が行ってしまう。
ささいなシーンが、ディークの信心深さを強く表しているのです。
天使はいないの意味
明確な答えが示されない「天使はいない」というメッセージ。今回は下記の2つについて考えてみましょう。
- 文字通りの「天使不在」
- 比喩的な「天使不在」
文字通りの「天使不在」
天使などいないからだ
「天使がいたならば、人殺しなんて起きるわけがないじゃないか。だから天使なんていないんだ」という文脈が思い起こせます。
神は悲劇に無関心だ
と答えます。この言葉は、天使などいないというメッセージに繋がります。
自分の罪も、ジムの罪も、神と天使が救ってくれなかったから起きた事なのだと自分に言い聞かせつつ、ジムにも伝えたのだとしたら…刑事があまりにも過酷な職業だと思えてくるかもしれません。
比喩的な「天使不在」
ディークからの封筒には、赤い髪留めが入っていました。これの意味は少し複雑です。リトル・シングスで最も難解なアイテムではないでしょうか。
ジムはまず赤い髪留めを見てから、次に「天使はいない」のメッセージを見る流れになっています。
赤い髪留めの元ネタは、行方不明のロンダです。ロンダって誰?!ってなりませんか?
男女が夜間にジョギング中、女性が車に追われるシーンがあります。この女性がロンダです。そのシーンを良く見ると、赤い髪留めを付けているのが分かります。ロンダが誰なのかを理解する事すらハードルが高い映画、という点がこの映画の難解さを物語っていますね。
ロンダは捜査上は行方不明となっており、被害は明らかになっていません。つまり、生死が分からないのです。
封筒から赤い髪留めが出てきただけでは意味が分からないところですが、ロンダが赤い髪留めを付けていたという点から、
赤い髪留めが見つかった=容疑者がロンダを殺した
という意味を持つことになります。殺害について具体的な表現は一切ありませんが、髪留めを受け取ったジムには、それが何を意味するのか、そしてディークが何を言いたいのかは理解できたことでしょう。
生死が不明だったロンダの髪留めが出てきたという事は、ロンダが既に死んでいるという事になるのです。その理由について、もう少し説明が必要でしょう。
容疑者の死を知るのは二人だけです。ディークはジムを殺害現場に残して、証拠隠滅を実行しました。この流れから、この赤い髪留めは容疑者宅から見つけたのだろう、とジムには理解できるのです。
以上のように、赤い髪留めと合わせて送られたことによって、「天使はいない」の意味が、
「ロンダはすでに死んでいる」
という別の意味を持つのです。
天使がいないという文字通りの意味と、ロンダの死を知らせる比喩的な意味。これら2つの意味合いは、どちらか一方だけ意図されたもの、あるいは、両方の意味を持たせたメッセージだった、と考えることができます。
ジムの苦悩は、怒りに支配され容疑者を殺してしまった事ですが、その苦悩には2つのルートが残されています。容疑者が犯人ならばまだ心が救われるのですが、真犯人が別にいるとしたら、無実の人間を殺してしまった事になるのです。これはディークも懸念している事だろうと想像できます。
ディークはジムの心を救うために、ロンダの遺品を送る事で、「容疑者が犯人であった、お前の行為は無駄ではなかった」と伝えたかったのでしょう。
しかし、ディークからそれらを受け取ったうジムの表情からは
そんなのどうでもいい
という気持ちが読み取れます。平和な家庭を維持しながら、人殺しの罪を死ぬまで隠し通さなくてはならない。若い優秀な刑事であるジムの深い心の傷が表れた、本作で最も印象的なシーンだと言えるでしょう。
赤い髪留めに隠された事実
ラストシーンでは、髪留めセットをディークが燃やしています。なぜか、赤い髪留めだけが欠けているようです。
この髪留めセットは、買い物袋に入っていました。この状態は、買って来たばかりの新品だという事実を示しています。
そして4色セットの1個だけ欠けているのは、新品の髪留めセットの中で赤だけ必要だったからです。新品の赤い髪留めだけが欠けていて、それ以外は燃やしてしまう。
これらが示すものは、ジムへ宛てたメッセージの真実です。
髪留めセットから欠けている赤い髪留めは、ジムに送ったのだと理解できます。
その赤い髪留めはジムにとって、
容疑者の自宅からロンダ誘拐の証拠を見つけた
というメッセージとなります。
しかし、それは「嘘の」メッセージです。
ジムはプールサイドで髪留めを受け取りました。
沈黙するジムは髪留めを手にしながら、何を思ったでしょうか。
「容疑者が犯人だった、自分は間違っていなかった」と安堵したのでしょうか。それさえも「どうでもいい」と思っているのではないかと思います。容疑者を殺してしまったことで、事件が解明される事はなくなってしまったのですから。
これから先のジムがどうなるかは分かりません。しかしディークは、自分と同じ道に進まないようにジムを救ったのです。
新品の髪留めセットを購入してまで遺品を捏造したディークの行動からは、ディークはロンダ誘拐の証拠を何一つ見つけることができなかったのだと想像できます。
ジムの心の平穏のために、永遠の秘密を共有するジムさえも騙すために、容疑者を犯人に仕立て上げたのです。
残された謎
謎のブーツ
主人公が古巣の警察署に行く事になったきっかけは、別の事件の「証拠品のブーツ」です。
ブーツを取りに行くために警察署へ行ったのですが、書類に不備があり、その場では受け取りができず、待たされることになりました。
こうして後任刑事と一緒に連続殺人事件の捜査をする事になったのです。
そのブーツの現物は、ラストシーンでちらっと映る、ホテルの部屋に置いてあったものです。
ホテルの部屋には被害者の記録写真と共に、ブーツが置かれていました。
それを見たフロントマンが「捨てちまえ」と掃除担当に言います。
この部屋の状態はどういう意味があるのでしょうか?意外と重要です。
まず、主人公としては、連続殺人の事件とはもう関わる事ができません。容疑者殺害を隠ぺいし続けるためには、それらの証拠品は「なくなってもらって構わない」のです。それはなぜか?
主人公には、ホテルを去った日を偽装する必要がありました。
月曜日からは捜査がFBIに移管されてしまいます。一連のゴタゴタは土曜日に起こり、死体の隠ぺいは日曜の朝までかかりました。つまり、主人公ディークは土曜日に外出し、そのままホテルには戻っていないのです。
ジムによる殺害が起きたのは日曜日なので、ディークがホテルに戻らない事で、まるで土曜日に帰宅したかのようなアリバイを偽装する事ができます。
もし日曜日にホテルに戻れば、土曜日に帰宅した事にはなりません。そのため、意図的に荷物を放置することで「ホテルに戻らずに土曜日に帰宅した」というアリバイを偽装したのです。
そのようなディークのアリバイ偽装を表現するために使われたのが、謎のブーツです。証拠品が散乱したホテルの部屋に唐突に登場したブーツの正体は、壮大な伏線として使われた別の事件の証拠品であり、ラストに映ったのは、アリバイ偽装について視聴者に理解させるためだったのです。
突然のブーツに違和感を感じてしまう人が多いと思いますが、あれは「帰宅日を偽装するために荷物を放置せざるを得なかった」という事と、「荷物を勝手に捨てられても困らない」という2つの事情を描いたシーンだったのです。
結局、犯人は?
ジャレッド・レトが演じる容疑者は、
果たして犯人だったのでしょうか?
明確な証拠が全くない点が重要です。
彼について判明しているのは下記の2つです。
- 過度な犯罪マニアである
- 8年前に殺人を自供したが遠くにいたため犯行は不可能
すぐに感情的になるジムの性格を見抜き、自分が殺されるように仕向けるなど、人の操作までもやってのけます。高度に知的だからこそ、一切の証拠を残さずに犯行を繰り返してきたとも考えられるでしょう。
愉快犯とも実行犯とも考えられるような材料が揃っているわけです。
一方、映画冒頭での殺人未遂の犯人像は、容疑者とは食い違います。帽子を被っていますが、明らかに髪が短く、車の色も違います。一致する特徴がないのです。
果たして髪を伸ばしただけなのか。
犯人は別にいるのか。
真犯人を特定できる情報は何もありません。観る人に委ねられています。
タイトルの意味
原題は『The little things』。
日本語では「ささいな事」ですが、
Theで始まる事から、特定の事柄を指しています。
ディークはこのフレーズを2つのシーンで使っています。
- ささいな事が犯人に繋がる(捜査中)
- ささいな事が、隠した事実の発覚に繋がる(ラスト)
ささいな事が犯人に繋がる
ディークが繰り返しこのフレーズを使っている点から、更に深掘りして考えると、根源的には、こういうことなのかもしれません。
「自分は人殺しである」
余談ですが
高速道路で二台の車が車線を跨いで謎の追いかけっこをするシーンがありますが、よく見ると、最初にバックで戻る時、反対車線を走る緑色の車がさりげなく映っています。見逃しそうなところにまでこだわった映画である事が分かるシーンですね。
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